日本サッカー界 プロ化へ | サッカー戯言コラム

日本サッカー界 プロ化へ

今回のサブタイトルは、知らなかった…。

Jリーグの始まったのは、1993年の事、10チームでの開始だった。初年度の優勝は鹿島アントラーズ。Jリーグも今では16チームとなったが、Jリーグの創設には、多くの困難が待っていた。下記はあらすじである。

これは、Jリーグの創設に携わった人のお話である。かつて12年前までの日本サッカー界は、代表の力も弱く社会人サッカーしかなかった。いつかは、社会人サッカーではなくて、地域密着のサッカーリーグを作りたい。そこで、今回の主役がでてくるのである。その名前は、木之本興三。彼は、解雇される前の会社(古河電気工業)のサッカー選手だった。彼がまだ若い頃に腎臓を患ってしまい切除。そのために一生、週に3回人工透析を受けることになった。その為に時間的、体力的なハンデを負う事になってしまった。"絶対にサッカーのプロ化をする"そんな彼の情熱に何人ものサッカー好きが集まった。

しかし、その道は困難を極めるものだった。"企業名をチーム名からはずす"これは、彼が地域密着型のプロリーグを作る時に掲げたことだった。しかし、JFAからは反対され、スポンサーからは"企業名をはずしたらチームは集まらない"、"100年たっても無理だ"と言われた。10チームの募集に14チームが応募してくるほどだった。その中には、現在の浦和レッズ、鹿島アントラーズ、東京ヴェルディ、そして古河電気工業を母体としたジェフ市原の名があった。

感動しました。木之本さん、サッカーの殿堂が日本にできるそうです。あなたは選ばれなくてはいけない人間だとおもいます。今の日本サッカー界を作ったのは、"あなた"です。
多くの幸せをあなたからもらっています。ありがとうございます。